電気柵突破される

5月も下旬になりました。そろそろ暖房は要らないかと思っていましたが、先週末思ったより寒く、お客さんが居たこともあって、ペチカに火を入れました。その後もストーブを点ける日がありました。記憶にある限りでは、5月下旬に暖房が必要だったことはありません。ただ、最近は老人達と同居しているので、室温を高めに保っていました。それ以前は、省エネ重視で暖房を節約していたので、これ位の気温は気にしなかったかもしれません。野菜の成長などを見ますと、春先が例年より寒かったのは間違いありません。これからも気温が低いのか、例年並みになるのか、暑くなるのかが気がかりです。

 

というのも、もう少し田んぼを作ろうかと思っているからです。今必死に代掻き中ですが、耕作放棄田でしたので、凸凹が激しい上に水が溜まりません。予想外に時間がかかっていますが、次の週末には田植が出来そうです。田植なら時期的にも充分間に合うのですが、普通に田植をすると雑草が出て来ます。有機無農薬の米作りで一番大変なのは雑草対策です。できればお布団農法でやりたいのですが、さすがに遅過ぎます。でも、もし夏の気温が高ければ、収穫出来るのです。さすがに全滅は困りますので、半分お布団農法、半分は普通の田植で作ってみるつもりです。

 

大雨で、既にお布団を敷いた田んぼの1枚に水路から予想以上の水が流入し、お布団の一部が流されてしまいました。他の田んぼはどうかと見に行ったところ、山の田んぼでは電気柵が突破され、お布団が一部破られていました。地上25センチに張った電線が60センチまで押し上げられていて、小動物なら簡単に通れてしまいます。隣の地主さんの田んぼの田植がこれからなので、危険が無いよう柵を張ってなかったところから入り、出て行く場所に困って中から外側に無理矢理押し渡ったようです。電気ショックと言っても、力で押し切れば簡単に突破出来るものではあります。

 

柵を突破された時の問題か、電気が通らなくなっていました。雨が多かったので、雑草の伸びが思ったより早く、電気柵の電気が漏電して利かなくなってしまったのかもしれません。とりあえず柵を直し、草を刈り、バッテリーを交換しました。これで一安心です。ただ、隣の地主さんの田んぼを通って侵入される場合はどうしようもありません。その田んぼも次の週末に田植の予定で、田んぼに田植機も来ていました。毎年田植の後には電気柵を張ってくれていますので、もうしばらくの我慢です。穴を開けられたお布団は、次の週末に敷き直す予定です。

 

今年は震災や原発事故で日本の農業生産も厳しいと思い、出来るだけ沢山の農産物を作りたいと思っています。ここしばらく、忙しくて農業は少し手抜きになっていたのと、原発事故で春先の出だしが遅れてしまったので、四苦八苦しています。でもお手伝いして下さる方も増えているので、何とか追いつきつつあります。春先、父が種を蒔いてくれた野菜類が、少しずつ収穫出来るようになって来ました。畑の半分位は植付けが終わりました。6月に入って、豆類、薩摩藷などの植付けが終われば、一息つけます。大豆は少し沢山作りたいのですが、もうちょっと頑張れば、何とかなりそうです。

山の田に猪出現

天気の良い日は暑い位の塩田平です。先週末、知人の若い女性2人が手伝いに来てくれ、遅れていた田んぼも大分進みました。何年か人に作ってもらっていたので均平が取れていない田が多く、代掻きに入って初めてそれがわかりました。出張等も多いのですが、塩田平にいる日は、時間を見てはトラクターで代掻きに励みました。代掻きだけでは修正しきれないのですが、これ以上遅れるとお米が出来なくなってしまう恐れがありますので、代掻きと平行してお布団を敷き始めました。月曜日までかかりましたが、何とか3つの田のお布団敷きが終わりました。これで一安心です。

 

総合的に考えると、10日ほどの遅れで種蒔きが終わったと考えても良いのかな、とおもっていましたが、翌日塩田平を車で走っていると、まだ一部ですが、既に田植が終わった田んぼがちらほら目につきました。もちろん、代掻きしただけの田も、荒起こしして水を入れた段階の田も、荒起こしだけで水も入れていない田も多いので、それほど心配する必要はないはずです。春先気温が低かったので、直播きではどうせ芽が出ません。夏暑ければ、充分追いつけるはず、と頭では分かっているのですが、自分の種蒔きと人の田植が同じ日というのは、ちょっとショックな光景ではありました。

 

家の周りでは、まだ代掻きも珍しいので、大丈夫とは思いますが、人の作業は気になるものです。しかしそれ以上にショックだったのは、山の田んぼに猪が出たことでした。土曜日の午後にお布団を敷いたのですが、少し敷き残してしまいました。日曜日の午前中に、続きを敷きに行ってみると、昨日敷いたお布団が足跡だらけです。水に浮かべているので、破られてしまって足の形が分からないのですが、穴だらけです。多分鹿では無く猪でしょう。他に鳥の足跡も沢山ついていました。とりあえず少し修正し、前日敷き終わっていなかった部分にお布団を敷いて帰りました。

 

猪のことが気にはなったのですが、一番大きな田んぼにお布団を敷かなければなりません。これまでも鹿や猪に悩まされて来たのですが、春先に出たのは初めてです。夏の終わりの稔り始めた頃に出始めるのが例年のことでした。これで来ないでくれると良いと思いながら帰りました。翌日、大きな田んぼにお布団を敷き終わって直ぐに見に行ってみて大ショックでした。昨日は穴が開いていただけでしたが、そこら中で引きずられて、お布団がよじれています。2-3割は水面が見えています。これでは直ぐに電気柵を張らねばなりません。電気柵を張るには、まず草を刈らねばなりません。

 

既に日が傾いていたのですが、とにかく電気柵を家から持って来て、草を刈り始めました。暗くなり始めましたが、草刈もほとんど終わっていません。とても電気柵の準備までは無理そうです。実は電気柵を持ってくる時に、家に動物避けの薬があったことを思いだしたのでした。正露丸と同じ成分で、臭いは強いのですが害はありません。動物の知らない臭いを嫌う性質を利用して、動物を近づけないというものです。狸避けに使ったことはありますが、猪に使うのは初めてです。幸い在庫が沢山あったので、4箱を田の周囲に撒いて帰りました。翌朝見に行ってみると、被害は増えていません。薬が効いたようです。一安心です。その後2日かけて、少しずつ電気柵を設置できました。

野菜種蒔きは順調。田植は完了できず

ゴールデンウィークの塩田平は比較的好天が続きました。家族や知人も手伝いに来てくれ、連日5人で農作業に専念していました。原発事故でスタートが遅れた農業も、これで追いつくかな、と期待出来ました。おかげさまで種蒔きや苗の植付けはほぼ目標を達成しました。キャベツや白菜、ネギなどの苗を植付け、葉菜類や豌豆、枝豆、トウモロコシ、牛蒡、大根などの種を蒔き終わりました。畑の半分位は種蒔きが終わり、もうほとんど芽が出ています。残りの畑には、夏野菜を植えますが、今年は気温が低めなので、もうしばらく霜が降りる危険があります。霜に弱い夏野菜は来週末以降に植えた方が安全です。

 

田んぼは残念ながら予想以上に苦戦してしまいました。昨年の減反時に、大きい方2枚の田んぼで野菜を作ったのですが、畝立てしたまま平たくされていませんでした。その上、収穫残さが1トン近く放置されていました。まずその持ち出しで時間がかかってしまいました。それからトラクターで畝を削って平たくしてみたのですが、田んぼ全体で真ん中がへこんで周りが高くなっています。これでは田んぼになりません。トラクターの使い方が下手なときの症状です。昨年一緒にやってくれた人がトラクターをうまく使えなかったようです。昨年は忙しくて、全然手伝えなかったのでしかたありません。

 

それでもゴールデンウィーク中には何とかなるかな、と思っていたのですが、代掻きの途中でゴールデンウィークが終わってしまいました。代掻きで凸凹を直そうと思ったのが失敗で、畝が残っているのでトラクターが安定せず、ちっとも平らになりません。昨年村の役で忙しく、ほとんど田の耕起や代掻きをしなかったので要領が悪くなってしまっているのかもしれません。借りたトラクターだったので、土を引く力が今一つ弱かったこともあります。仕方なく毎日延々トラクターに乗っていたので、トラクターのエンジンを切っても、頭の中でトラクターのエンジン音が鳴り続けている位でした。

 

トラクターで耕起していると、土の中から出てくる虫を目当てに、色々な鳥が飛んで来ます。不思議なもので、鳥達は、轟音を発しているトラクターが近づいても平気です。あちこちを突つくことに忙しいようです。代掻きしていると、蛙が巻き込まれそうになります。蛙一匹を気にしても仕方ないのですが、あわててブレーキを踏むこともあります。ジャンボタニシが歩いているのも見かけました。種蒔きが終わると、もっと色々な生き物が現れます。直播きなので、田の種蒔きはできれば4月中に終えたかったのですが、次の週末、つまり5月中旬になってしまいます。

 

5月の最後の週には、周りの田んぼで田植が始まります。種蒔きと田植が同じ時期ということではまずいのですが、仕方ありません。今年は春の気温が低めだったので、周りの田植も少し遅れて、秋には同じ位に育つかもしれません。種蒔きと言ってもお布団農法と言う農法なので、綿のシートに種籾が埋め込まれたものを敷き詰めます。敷く直前に代掻きした方が敷きやすいので、もう一度さっと掻いて敷いて行きます。一昨年は鴨が沢山やって来て、種籾をみんな食べられてしまいました。鴨が昔のことを忘れてくれていると良いのですが。次の週末には、ナスやトマトといった夏野菜も植付けたいので、ますます忙しくなりそうです。

ひたすら田畑に通うゴールデンウィーク

塩田平を囲む山々にみどりが芽吹き始めました。家の近くで、狐や狸、雉子を見かけます。家の周りの田んぼにも、稲の苗を育てるトンネルが並んでいます。わが家の田んぼは直播きなので、本当ならわが家でももう種蒔きが終わっていなければならない季節です。原発事故のおかげで1カ月以上スタートが遅れてしまった農業ですが、何とか追いつこうと奮闘中です。父が農業に熱心なおかげで、畑や田んぼを遊ばせずにすみそうです。ゴールデンウィークに入り、知人や東京に住んでいる母が手伝いに来てくれ、残った種蒔きや苗の植付けが進みました。

 

その間に、田んぼに必要なトラクターの整備をしようとしたのですが、バッテリーを充電して起動したところ、クラッチが固着しています。思ったより重症です。修理するには時間とお金がかかりそうです。田んぼに間に合いません。仕方ないので知人にトラクターを借りることにしました。ゴールデンウイークは機械整備に時間がかかると思っていましたが、管理機を整備しただけで、トラクターは貸してもらって田んぼに向かいました。田んぼは4枚あるのですが、1枚が減反の年なので、今年お米を作る田んぼは3枚です。

 

先週末から今日まで、毎日のように田んぼに通っています。ちょっと面倒なのは、2枚の田んぼが昨年減反で、野菜を作っていたので畝が立ててあって凸凹です。田んぼによっては昨年作った作物の片付けが終わっていません。脱穀した稲藁や、大豆の豆殻などが田んぼに山になっています。まずはその片付けからです。軽トラを田んぼに入れ、フォークで積み上げます。1枚の田んぼは湿田で、軽トラが沈んでしまうので、一輪車で運びました。それから肥料を撒いたり、トラクターで荒起こしをしました。ひたすらトラクターに乗って、田んぼをぐるぐる回ります。

 

何とか荒起こしは終わりました。表面だけ薄く耕起する農法なので、比較的時間がかかりません。荒起こしが終わった順に、田に水を入れて行きます。田圃の面積にもよりますが、田んぼ全体に水が溜まるには一晩では足らず、2-3日かかります。ほぼ水が入ったので、明日から代掻きです。荒起こしはトラクターにロータリーという機械を付けて起こしました。ロータリーをドライブハローという機械に交換して代掻きをします。ロータリーでも代掻きも出来るのですが、ドライブハローの方がスピードも速く、幅も広いので、大分早く終わるのです。

 

田んぼには猪の足跡、畑には鹿の足跡があったので、気になっていたのですが、田を片付けて、次の日に行くとまた新しい足跡があります。畑では、ネギを植えた畝の上を歩いて、マルチに穴を開けていました。山の中の田は、電気柵を設置するしかなさそうです。ゴールデンウィークの目標は、何とか代掻きを終えて、田んぼに種を蒔いてしまうことです。今のところ例年より約1週間遅れていますが、今年は春の気温が低めで、桜が咲くのも遅かったので、田のスケジュールも少し遅れて当然、と思うことにしています。目標達成はちょっと厳しいかもしれませんが、米は重要物資なので、まずは種蒔きを優先して、畑や電気柵はその次ということになりそうです。(合原)

やはり沢山作物を作らねば、と格闘中

塩田平では桜が満開です。雨も多く、天気が良いとはいえないのですが、これまでがずっと日照り状態だったので、畑には恵みの雨です。本来なら4月は、春の農作業真っ盛りの季節です。しかし今年は、震災や原発事故でいろんな時間を取られ、農業はお休みになっていました。遅ればせながらジャガイモの植付けから始め、雨が降ったので先週マルチをかけました。実は植えたまま手が回らず、マルチ掛けが遅れていました。その間に雨が降ってくれ、ちょうど良いタイミングになりました。それでも時間が取れなかったので畑の半分もマルチを掛け終わっていません。このまま乾燥してしまうと、元の木阿弥です。

 

今年農業に力を入れるべきか、しばらく迷っていました。目の前の仕事だけで大忙しなだけでなく、原発事故も何とかしたいので、研究所などにいる知人と相談したり、ブログを書いたりするのに時間を取られます。しかし今年の日本の農業生産は、津波の塩害や原発からの避難、放射能放出などの影響で、かなりの打撃を受けるでしょう。昨年は世界全体も農業生産が不振気味で、北海道も不作でした。世界の農業生産が順調なら、日本が食料の輸入に困るまでは行かないと思います。でも、少しでも世界の作柄が悪くなれば、日本が輸入を増やす分だけ海外の貧しい人の食料が無くなることになります。

 

最近の報道によると、大まかな数字ですが、農地の津波被害が2万3000ヘクタール。放射能被害が1万ヘクタールとのことです。このうち水田が3万ヘクタールで、平均収量で計算すると米の減収量は15-18万トンになります。米の総生産量は年間850万トン弱なので、2%程度のことですし、減反田への生産振替も行われます。米の民間在庫が200万トン、政府備蓄も90万トン程度あり、米不足になる心配はなさそうです。しかし既に、作付け制限地域より広い地域で野菜などから基準以上の放射能が検出され、出荷制限が行われています。現在も放射能が放出され続けているので、被害農地が広がったり、生産しても放射能が検出される危険があります。

 

わが家の今年の農業は既に出遅れています。まだ作付け計画も立っていない状態です。その上時間もありません。でも食べ物を作るには時間がかかるので、不足が分かってから作るのでは間に合いません。しばらく悩んでいたのですが、将来の食料不足の可能性があるのに農地を遊ばせるわけにはいかないと思うようになりました。手のかからないものを中心に、何とか収量を増やすよう努力したいと思っているところです。ジャガイモのマルチ掛けの遅れも心配ですが、マルチを掛けなくても芋は出来ます。他の野菜の種蒔きと苗の植付けを優先することにしました。

 

この2週間ほどの間に、野菜の種と、レタス、白菜、キャベツ、ブロッコリーの苗を計200本ほど購入し、父に植付けてもらいました。迷いがあったので、最初はレタスとキャベツを20本ずつ。次は20本40本と、少しずつ増やしたので、いろんな畝にまだらに色々な野菜が植わっています。同じ品種を固めて栽培しないと手入れが大変なので、あまり褒められたやり方ではありません。しかも、家庭菜園よりは多いものの、農業としてはかなり少ない量です。キャベツを100本植えても、15メートルの畝1本にしかなりません。農業としては最低でもこの30倍が最小単位ですが、それだけ植えたのはジャガイモ位です。

 

それでも実は、苗を買っていては採算が取れない規模です。自分で苗を作り、沢山植え付けるべきなのですが、それでは1カ月遅れてしまいます。先週末はネギの苗を800本購入し、植付けました。これもその4倍位は作りたいところなのですが、植付けに割けそうな時間から計算したので少なくなってしまいました。種苗店で本数を確認して買ったのですが、実際に植えてみると1200本以上あり、準備した畝が足りません。植えないと枯れてしまいます。たくさん植えたかったので悪いことではないのですが、時間がありません。あわてて畝を立て、激しい雨の中で植えるしかなく、往生しました。

 

作付け計画も立てないまま、その場しのぎでですが、ここまでで畑の半分位作付けたでしょうか。営農計画が遅れている代わりというわけではないのですが、ネギとジャガイモは、新しい省力化多収農法を試しています。うまく出来てくれるか楽しみです。南瓜や薩摩藷を植えるまではまだ時間があるので、準備して多めに作るつもりです。それ以外に減反田で、鶏の餌にする大豆も作らねばなりません。そろそろ米作りの準備もしなければならないのですが、トラクターの整備も手つかずです。塩田平ではゴールデンウイークは農業ウイークなのですが、わが家は皆さんより半月遅れで、機械整備ウイークということになりそうです。

桜が満開らしいが

久しぶりに塩田平に落ち着いています。出張もありますが、春の農作業もありますし、亡くなった義父の行事もあり、あまり塩田平を離れられません。週末は土日とも力仕事でした。先週植えてしまうつもりだったジャガイモですが、半分ぐらいの種芋を並べたところで時間切れになってしまいました。直射日光を当て過ぎると種芋が死んでしまうので、とりあえず機械で畝間に溝を掘り、その土を軽く種芋にかけたままになっていました。まずは残りを植えてしまわねば、と種芋を並べてみたら、種芋が足りません。去年借りて米を作り、今年初めての減反で、正確な広さが分かっていなかったのです。

 

先週種芋を買いに行った時に、種苗店に男爵の種芋しか売っていませんでした。有機農業では農薬を使いません。万一病気が出た場合、単一品種だと全滅してしまうことがあります。それを避けるために、複数の品種を播くようにしています。できれば別の品種も探したい、という気持ちもあり、少なめに求めました。さらに畑の半分を試験的に、新しい密植の植え方で植付けたので、例年以上に種芋が必要になりました。結局種芋が5キロぐらい足りなかったので、いくつかの店を回ったのですが、全部売り切れです。翌朝大きな種苗店に電話してみたところ「男爵なら少し残っている」とのことでした。

 

最悪の場合は男爵にするか、と思いながら、遠くの大きなホームセンターに行ってみました。待つこと5分ほどで開店したので、すぐに店員さんに「ジャガイモの種芋はありますか」と聞いたところ。「もうこれだけです。しかも箱売りのしか残っていません」。見ると毎年作っているアンデスレッドの10キロの箱が1つだけ残っています。何という幸運でしょう。必要なのは5キロなのですが、誤差の範囲です。すぐに帰って種芋1つの重さを計ると90グラムです。1番小さい50グラムの種芋で5キロ必要だったので、そのまま植えればちょうどいい数になります。本当は3つに割っても大丈夫なのですが、畑が一杯なので、そのまま植えました。

 

ちょっと余り気味でしたが、最後は詰めて植え、ちょうど畑全体に植付けることができました。肥料をやって畝立てし終わったのはもう暗くなる頃。畝立ては独自の方法で機械を使うのですが、土を掘って不安定になる機械を腕力で押さえながらの作業なので、神経を使う上に体力も使います。最初の計画では1日で植えてしまおうと思っていたのですが、あちこち種芋を探し回ったこともあって、結局丸3日かかってしまいました。実はこの後畝にマルチをかけねばならないのですが、それは少し後でも大丈夫です。

 

翌日曜日は村の共有林の手入れでした。急傾斜の山の中で下草を払い、雑木を切り倒します。手入れの後はビールが振舞われました。村の人たちとビールを飲みながら「今日辺りが桜が満開で名所は花見客で一杯」という話を聞きました。震災と原発事故で忙しく、農業に割く時間もほとんど取れていません。残念ながらとても花見どころではありません。その上、3月の睡眠時間が短か過ぎた反動か、肉体労働が続いたからか、最近は睡眠時間が通常以上に長くなりがちで、いろんなことがなかなか進みません。その反面、疲れがちなせいかお酒の量は増え気味です。体を使うとどうしても増えてしまいます。

 

体重も過去最高に迫っています。元々不健康な生活を送っていたような気もしますが、最近ますます不健康かも、と思っていたのですが、肉体労働をすれば眠ってしまうわけで、健康の素は肉体労働のようです。暇があれば、切り倒した木を薪に使うために取りに行きたいところです。1缶飲んだだけですが、2日連続の力仕事だったからか、家に帰ったらそのまま寝てしまいました。

 

震災被災地域では、農業の復興にも時間がかかるでしょうから、日本全体としてみると農作物が不足することになります。その一部でも埋め合わせるために、自分も農業に力を入れなければと思うのですが、なかなかその時間が取れません。今年は手抜きで沢山穫れるものを中心に、と思っている今日この頃ですが、良く考えてみると、農業を始めた頃と同じ考えです。昔から手抜きだったということのようです。それはともかく、自分や周りの人たちのためにも、食料生産は重要です。とりあえずジャガイモだけは植えましたし、父も種蒔きをしてくれています。次は米作りに力を入れることにしましょう。

春の農作業で大わらわ

大分暖かくなって来ましたね。相変わらず流浪の民で、先週も東京、大阪、神戸、九州と移動し、塩田平には半分もいられません。それでも父が人参や野菜の種を蒔いてくれました。またレタスやキャベツの苗も買って来て、植えてもらいました。残念ながら肥料設計がうまく出来ないようなので、様子を見ながら追肥して行くつもりです。田んぼの準備もしなければならない時期ですが、とても追いついていません。まずはジャガイモを植えなくてはと、種芋を買いに行って驚きました。売り切れでほとんど売っていません。

 

良く考えてみればもう4月も中旬です。ジャガイモの植付けは、塩田平ではできれば3月中にやってしまいたいもの。そろそろ種芋が無くなってしまっても文句は言えません。小さな種芋ならそのまま植えれば良いのですが、残っていたのは男爵の特大の種芋だけ。切って植えねばならないので、それぞれの種芋を包丁で6つに切り分けましたが、それだけで3時間ぐらいかかってしまいました。忙しくして準備が後回しになると、ますます時間がかかります。でも男爵を中心にしたいと思っていたし、大きな種芋の方が大きな芋になるので、まあ良しとしましょう。

 

大阪も神戸も九州も、桜が盛りでした。一部は葉が出始めています。残念ながら大阪は雨でしたが、九州で内輪でお花見をしました。照明の自粛で暗い中でのお花見でしたが、桜がきれいな良いお花見でした。季節季節の行事は大事にしたいと思っているので、震災や原発事故があっても、こうした行事や日常の作業を続けて行きたいと思います。そろそろ米作りの準備に入りたいのですが、原発事故の影響でなかなか手が回らないというのが正直なところです。でもあと一息という感じになって来たので何とかなるでしょう。日本の食料生産が減少しないよう、少しでも協力したいと思っています。

 

塩田平と九州はだいたい落ち着いたので、東京に戻った子供達の事故対策をすれば、当面の原発事故対策はお終いです。25年前のチェルノブイリ事故の時に色々考えましたし、塩田平に定住した時も、日本でも原発事故が起こる可能性を考えて、それなりの準備や対策をしました。電力の契約を15アンペアにして、薪を使い、出来るだけ原発の電気に依存しない生活を目指したつもりでした。それから15年。非常時に放射性降下物から畑を守るためのシートも、放射線測定器も、引っ越しのついでにどこかに行ってしまったままで見つかりません。人間は忘れてしまうもののようです。

 

塩田平も福島から300キロ弱なので、放射能雲が流れてこないとは限りません。実際近隣で線量が上がっている地域もあります。あわててシートを買って来て、一部だけですが畑を覆いました。先週大風が吹き荒れ、シートはみんな飛んで行ってしまいました。翌日雨が降りました。シートは、主に雨とともに落ちてくる放射性物質を防ぐためのものだったわけですが、これでは何ともなりません。しかしまあ、いずれにしろいつまでもどうなるか分からない事故の収束を待ち続けるわけにはいかないのです。放射能も困りますが食料生産の落ち込みも困ります。どうせそろそろ作付けを始めねばなりません。放射能がどうなるかは、運を天に任せることになりそうです。

村の共同作業をしながら考えたこと

あっという間にもう4月です。塩田平も春らしいよい天気で、ペチカも朝晩だけ焚けば良いようになりました。東北で被災している人や、原発の事故対策をしている人がたくさんいることが信じられない気もしますが、塩田平でもいくつか入手が難しいものがあり、災害が現在進行形のということを感じます。震災から1カ月近く経ったわけですが、被害の大きさや、予断を許さない原発の状態を考えると、この状態が数ヶ月続くのでしょう。念のため東京から避難させていた子供たちも、仕事や学校が始まりました。幸い原発も小康状態が続いているようなので、東京に戻りました。

先週はなかなか忙しく、九州、大阪、神戸、名古屋、長野、東京と移動しました。長野は駅や電車内の照明がかなり消えています。関西はエレベーターやエスカレーターも普通に動いていて、名古屋から西は目立った節電は少ないように感じました。塩田平でも、村の麻雀大会や花見は中止になりました。九州でも、お花見の名所に特別な照明をせずに、暗い中で携帯の明かりで花見をしていたそうです。九州では桜がかなり咲き始め、そろそろお花見が始まっているのです。毛布や電池などは、被災地への供給を優先しているとのことで、九州でも入手困難です。災害に日本中で協力したいものです。

原発事故も長期化の様相が強くなって来ました。水や食物の汚染は今後も続くでしょう。しかも、いつ事態が悪化しないとも限りません。そんなことに個人個人が対策を考えなければならない社会は明らかに間違っていますが、目の前の危険は避けるしかありません。仕方ないのでポケット線量計や浄水器などを手配しました。大変な散財です。しかしこうした状況を作ってしまったことには、社会の全ての人に責任があるわけです。こうした状況を作った政治家や、電力会社を特に批判することも無かったわけですから。状況を改善し、より良い社会にするためには、一人一人が反省して協力するしかありません。

週末は塩田平で、水路と道路の整備の共同作業がありました。田舎なので、それ以外にも細々とした仕事がたくさんあります。面倒と思うこともありますが、もし災害が起こっても、こうした普段からのつながりが役に立つのでしょう。力仕事が多い道普請の担当になってしまい、溝を掘ったり砂利を運んだりでかなり疲れました。同じ日に、村の共有林の見回りにも行きました。道などなく、急な沢を上ったりします。元々運動不足のところに、最近忙しすぎてほとんど寝ていません。そこに重労働です。道普請だけですっかり疲れていたので、山の見回りは結構堪えました。でも山の中を歩くのは気持ちがよく、4月中に共同で下草刈りをすることになりました。

水路の整備の時期ということは、畑や田んぼの準備が本格化する時期になったということです。田の準備を進めねばなりませんが、震災と原発事故で全く手つかずです。先週「汚染水の海への放出を行わざるを得ない危険性があります」と書いたのですが、残念ながらその通りになってしまいました。父は早く種蒔きを進めたいようですが、それどころではありません。対策や個人的な対応もまとめたいのですが、目の前の状況に対応するだけで精一杯で、とても農業どころではありません。しかしその一方で、社会の活力と安定を維持して行くためには、水路の掃除のような、日常性を続けて行くことが、一番重要です。

花見など行事の中止が多いようです。もちろん、行事を自粛して、その代わりみんなで被災地に手伝いに行く、というならその方が良いでしょう。しかし、やりたくてもできない被災地は別として、ただ「自粛」だけすることにはあまり意味が無いように思います。それだけ経済がシュリンクし、社会活動、経済活動が低下して、元気がなくなってしまうだけです。復興や対策は長期的に続きます。通常通り出来ることは出来るだけ通常通りに行い、それに加えて被災地の役に立つこともお手伝いするしかありません。やはり農業にも前向きに取り組まねばと、思いを新たにしました。