村の共同作業をしながら考えたこと

あっという間にもう4月です。塩田平も春らしいよい天気で、ペチカも朝晩だけ焚けば良いようになりました。東北で被災している人や、原発の事故対策をしている人がたくさんいることが信じられない気もしますが、塩田平でもいくつか入手が難しいものがあり、災害が現在進行形のということを感じます。震災から1カ月近く経ったわけですが、被害の大きさや、予断を許さない原発の状態を考えると、この状態が数ヶ月続くのでしょう。念のため東京から避難させていた子供たちも、仕事や学校が始まりました。幸い原発も小康状態が続いているようなので、東京に戻りました。

先週はなかなか忙しく、九州、大阪、神戸、名古屋、長野、東京と移動しました。長野は駅や電車内の照明がかなり消えています。関西はエレベーターやエスカレーターも普通に動いていて、名古屋から西は目立った節電は少ないように感じました。塩田平でも、村の麻雀大会や花見は中止になりました。九州でも、お花見の名所に特別な照明をせずに、暗い中で携帯の明かりで花見をしていたそうです。九州では桜がかなり咲き始め、そろそろお花見が始まっているのです。毛布や電池などは、被災地への供給を優先しているとのことで、九州でも入手困難です。災害に日本中で協力したいものです。

原発事故も長期化の様相が強くなって来ました。水や食物の汚染は今後も続くでしょう。しかも、いつ事態が悪化しないとも限りません。そんなことに個人個人が対策を考えなければならない社会は明らかに間違っていますが、目の前の危険は避けるしかありません。仕方ないのでポケット線量計や浄水器などを手配しました。大変な散財です。しかしこうした状況を作ってしまったことには、社会の全ての人に責任があるわけです。こうした状況を作った政治家や、電力会社を特に批判することも無かったわけですから。状況を改善し、より良い社会にするためには、一人一人が反省して協力するしかありません。

週末は塩田平で、水路と道路の整備の共同作業がありました。田舎なので、それ以外にも細々とした仕事がたくさんあります。面倒と思うこともありますが、もし災害が起こっても、こうした普段からのつながりが役に立つのでしょう。力仕事が多い道普請の担当になってしまい、溝を掘ったり砂利を運んだりでかなり疲れました。同じ日に、村の共有林の見回りにも行きました。道などなく、急な沢を上ったりします。元々運動不足のところに、最近忙しすぎてほとんど寝ていません。そこに重労働です。道普請だけですっかり疲れていたので、山の見回りは結構堪えました。でも山の中を歩くのは気持ちがよく、4月中に共同で下草刈りをすることになりました。

水路の整備の時期ということは、畑や田んぼの準備が本格化する時期になったということです。田の準備を進めねばなりませんが、震災と原発事故で全く手つかずです。先週「汚染水の海への放出を行わざるを得ない危険性があります」と書いたのですが、残念ながらその通りになってしまいました。父は早く種蒔きを進めたいようですが、それどころではありません。対策や個人的な対応もまとめたいのですが、目の前の状況に対応するだけで精一杯で、とても農業どころではありません。しかしその一方で、社会の活力と安定を維持して行くためには、水路の掃除のような、日常性を続けて行くことが、一番重要です。

花見など行事の中止が多いようです。もちろん、行事を自粛して、その代わりみんなで被災地に手伝いに行く、というならその方が良いでしょう。しかし、やりたくてもできない被災地は別として、ただ「自粛」だけすることにはあまり意味が無いように思います。それだけ経済がシュリンクし、社会活動、経済活動が低下して、元気がなくなってしまうだけです。復興や対策は長期的に続きます。通常通り出来ることは出来るだけ通常通りに行い、それに加えて被災地の役に立つこともお手伝いするしかありません。やはり農業にも前向きに取り組まねばと、思いを新たにしました。