たまたま機会があり、先週仙台から津波の被害が大きかった石巻、女川町、女川原発を見て来ました。女川原発は 13.8メートルの津波にも耐え、冷温停止出来ました。ただ実際のお話を伺ってみると、14.8メートルあった敷地が地震で1メートル沈下し、そこを津波が襲ったので、敷地の外周まで海水が来ていました。もしもう1メートル沈下していたら、もう少し津波が高かったら、建屋に海水が流れ込んでいたかもしれません。ただ女川原発では、海水ポンプ類も14.8メートルの敷地に掘られたピットの中に収容されているので、津波にさらわれる心配はなさそうでした。
津波には耐えましたが、地震で配電盤の一つがアーク火災を起こし、海水取水口から浸入した海水に6基ある非常用ディーゼル発電機のうち1基が水没しました。5系統あった外部からの受電系統のうち、4系統が失われ、維持出来た外部電源は1系統だけでした。補機用の重油タンクも津波で流されるなど、危機一髪の状況でした。それでも、外部電源も維持出来、非常用発電機も生き残ったので、無事停止出来ました。実は東海村の第二原発も、一時は全交流電源を喪失し、危機一髪でした。福島第1の情報は不十分とは言えボツボツ流れて来ますが、それ以外の情報は陰に隠れて出て来ません。情報収集に努力する必要がありそうです。
三陸最大の漁港で豊富な魚種の水揚げを誇った石巻も、ほぼ壊滅状態でした。東北電力の方の話では、震災前石巻漁港には140社の水産加工会社があったそうですが、電力を復旧して以来今日まで、通電の申し込みは8件しかないそうです。仮設で漁港の営業をはじめたと聞きましたが、小学校の運動会で使うようなテントが2つ並んでいるだけでした。瓦礫とヘドロの撤去は終わったようですが、道路からそこかしこにうずたかく積まれた瓦礫の山が見えました。亡くなった方が多かった地区は片付けこそ進んでいる物の、かろうじて立っている建物もみな無人で、復興までの道のりは遠そうでした。
出張や東北に行ったこともあり、また週末、毎年行っている地域の小学生のキャンプのボランティアもあったので、1週間ずっと出かけることになってしまいました。幸い前の週に原発からの身の守り方を講演したとき、お手伝いをお願いしたら、前後に何人かの方が手伝いに来てくれ、苗の植付けや種蒔きが大分進みました。福島へも野菜を段ボールで5つ送りました。継続的な支援が出来るようにしたいものですが、うちで作っている野菜では限界があります。皆の力を合わせる必要がありますが、そのためには人のつながりが必要です。少し時間がかかります。
農業の方は秋冬作の準備が待ったなしです。幸い種蒔きで一番時間がかかる玉葱の種蒔きを皆さんが手伝ってくれ、何とか8月中に蒔き終わりました。遅れていたジャガイモの収穫も終わり、育てている白菜の苗を植える準備にかかれるようになりました。いずれにせよ秋冬作の種蒔きの限界が次の週末です。台風が足踏みを続けてくれれば、何とかなりそうです。その代わり米や大豆の草取りが出来ません。少しいもち病も出てしまって収量が心配ですが、こちらは運を天に任せることにして、まずは種蒔きに専念です。