減反の確認と草刈り、東北の様子

 甲信越も梅雨明け宣言が出ました。最近の塩田平では、なぜか梅雨明けまでは全然降らなかった雨が多くなります。先週から眩暈が出るようになったので、大事をとって車の運転を控えているため、農作業が進みません。眩暈は、完全には止まっていませんが、程度と回数は減ってきました。一番困ったのは、体調も今ひとつだし暑いので、農作業も自粛して家で休んでいても、どんどん疲れてくることです。これまで溜まったら疲れが出てきているらしく、休めば休むほど疲れるという不思議な状態です。元々かなりハードスケジュールのところに、官邸まで何度も行ったり、有機農業の講習を手伝ったりと、無理したのがいけなかったのでしょう。数日大人しくしていたら少し楽になったので、週末は除草に精を出しました。

 週末が明けた月曜日は、村の減反の確認作業でした。役所の担当者が減反の届け出と実際が一致するかを確認するのですが、その補助をして、案内や確認のお手伝いをします。好天で雨よりは良かったのですが、炎天下で圃場を走り回り、減反田の状況確認と書類回収をお手伝いする作業で、予想以上に消耗してしまいました。終了後会費制のご苦労さん会があり、暑い中走り回った反動で飲み過ぎてしまいました。もっとも、他のメンバーは意気軒高で、日頃の鍛錬が足りないことを痛感しました。そう言えば、先週後半は古くからの友人が亡くなり、東北に行ってきました。その疲れも少しはあったかもしれません。そういうわけで、ここしばらくは農業はお休みです。丁度暑い時期なので、無理をしないようにしたいと思います。

 葬式のためにスケジュールをキャンセルしたので、官邸前原発再稼働反対行動に参加することもできたのですが、震災被災地に足を運ぶ機会は少ないので、福島市と宮城の海岸線まで足を延ばし、現状を見てきました。福島市は、新幹線の中で測っても塩田平の倍以上、つまり通常の4倍以上の空間線量があります。市内にはもっと高いところがあります。外部被曝だけで年間1mSvを越えてしまう線量です。それでもホールボディーカウンターで測った内部被曝は低いとのこと。内部被曝の主原因は食べ物です。福島市で、安全な食品が手に入るのか、自分の目で確認したかったのです。あまり時間がなかったので、駅ビル地下のスーパーを覗いてみました。やや高級指向の店かもしれませんが、傾向はわかりました。

 魚類は北海道から鹿児島まで、日本中のものがありました。近海のものはほとんどなく、「三陸北沖」と表示されたものが目立った程度でした。野菜類は東北一円および北関東のものが中心でした。海産物は引き続き高線量のものが出ていますが、野菜は測定結果が低くなってきているので、消費者が受け入れているのか、流通や費用の問題で近県にならざるをえないのか知りたいところです。ミネラルウォーターや保存食品は、関西や海外のもの中心でした。宮城県の津波被害は、仙台から電車でいける、松島の先まで行ってきました。松島の先は、まだ鉄道が復旧しておらず、連絡バスで野蒜駅まで行って見てきました。途中の線路や川は、電信柱や木が倒れたまま。野蒜駅構内も架線鉄柱も倒れたままです。

 駅前のコンビニも中はグシャグシャのままでした。松島湾内は岬や島に守られたのか、大きな被害は感じられませんでしたが、野蒜駅から海岸までの住宅街だったと思われる一帯は、ほぼ真っ平らになっていました。隣りが、津波被害が大きかった石巻です。石巻も4月に訪問しましたが、地上の瓦礫はほぼ片付いていましたが、基礎などはそのまま残っていました。野蒜は範囲が狭いからか、基礎も含め、かなり撤去が進んでいました。中学校は鉄筋なので校舎は残っていましたが、2階まで水が来たようで、窓などは破れたままでした。周囲の復旧も進んでおらず、再開の予定はないようでした。海岸部は、被害の片付けだけでなく、インフラも含め、今後の再建方針が立たないことも復興の妨げになっているようです。

 目の前の復興、放射の汚染対策から、食料の安全をどう確保して行くのか。原発再稼働で良いのか、将来どういうエネルギーを使って行くのか。震災/原発事故によって突きつけられたのは難しい問題ばかりです。でも突然発生したわけではなく、ずっと存在していた問題が浮かび上がって来て、目に見えるようになったに過ぎません。子供達にどういう社会、どういう国、どういう世界を残すことになるのか。これからの僕たちの選択にかかっているわけです。これまでもそれは同じだったのですが、そこに大きなリスクが隠されていることに気付いていませんでした。今やリスクは現実になり、東北の多くの地域の復興もこれからです。自分にできることを、一つずつ片付けて行くしかありません。

ハクビシンとめまい

 塩田平では麦の収穫がほぼ終わり、大豆の種蒔きが進んでいます。稲は田んぼ一面がみどり色になる位育って来ました。でもそれは周りの田んぼの話。わが家の田んぼは稲が一回り小さく、成長がもう一息です。有機栽培は生育に時間がかかる場合が多く、特に初期の生育はゆっくりです。でもここのところ暑い日が続いたこともあり、大分大きくなりました。秋には追いついてくれることでしょう。田んぼによっては成長が悪かったり、少し雑草が生えてしまったところもあります。着地が十分でない株を一株ずつ手で押し込んだり、せっせと雑草を取ったりしたのですが、丸一日かけても10メートル四方も終わりませんでした。梅雨明け前に何とかしたいと思ったのですが、まだまだかかりそうです。

 先週、春先に苗を植えたトウモロコシの1本が、動物に食べられました。まだ熟す前です。トウモロコシは毎年狸にやられるのですが、完熟に近づくまでは食べられたことはありませんでした。熟して来たら電柵を張ればいいと思っていたので、ちょっとビックリでした。その後2日ほど出張していたのですが、その間は動物の被害はありませんでした。電気柵はまだ大丈夫だな、と思った次の日、トウモロコシが全部食べられてしまいました。もちろんまだ熟していません。近所ではここ数年、ハクビシンという中国から渡って来た動物が悪さをする、という話が出てい狸には、車で夜道を運転している時に時々出会います。ハクビシンは、最近増えたと話には出るのですが、実際に見たことはありませんでした。ました。どうやらハクビシンかもしれません。

 トウモロコシは時期をずらして何回か植えているので、食べられてしまったのは、最初に苗を植えた少しだけです。その分はほぼ全滅ですが、これから次々に育って来ます。また食べられてしまっては大変です。というわけで、あわてて電気柵を設置しました。その後は大丈夫なようです。ただ、実がなっていたものはほとんど全部食べられてしまったので、次の実が育っていないので手を出さないだけかもしれません。そう思っていた先日のある晩、村の中の道路を車で走っている時に、不思議な動物がいました。狸より一回り大きいのですが、狐とは形が違います。何だろうと目を凝らしたところで、その動物がこちらを向きました。頭から鼻先にかけて、太い白い筋が走っています。話に聞いていたハクビシン(白鼻シン)のようです。うちの畑を荒らしたやつかは分かりませんが、初めてハクビシンと遭遇することができました。

 先週のある朝、目が覚めて寝返りを打つと、天井がグルグルと回りました。体がゴロゴロ動いているような感じです。実際には動いていないのですが、世界が回っているので、立ち上がることもそのまま寝ていることも出来ません。しばらくして落ち着来ました。どうやら目眩というもののようです。憶えている限り、こんな目眩は起こったことがありません。上半身を大きく回すと起こるようで、何度か世界がぐるぐる回りました。天井に焦点を合わせると、天井が左右に揺れています。もちろん天井は動いていず、僕も動いていないので、どうも目玉が勝手に左右に動いているようです。気にしても仕方が無いので、田んぼに水を入れに行きました。水尻を閉じようとしてしゃがみ込んだところでまた目眩が起こり、そのまま田んぼの水野中に倒れ込んでしまいました。顔は田んぼの泥に突っ込んでしまい、服もびしょびしょです。

 調べてみたところ、目眩の原因は沢山あるようで、怖い原因から原因不明のものまであるようです。症状から考えると、耳石というものが間違ったところに転がって行った結果のようです。できるだけ沢山目眩を起こしていれば、だんだん目眩の症状が軽くなり、早く良くなるそうです。原因は過労やストレスが多いとのこと。ずっと作業続きのところ、炎天下で1日田んぼの草取りをしていたので疲れ過ぎてしまったのかもしれません。いずれにせよ、運転中に突然目眩が起こっては危険なので、しばらく車の運転は自粛した方が良さそうです。過労のせいならしばらく休養を取らなければ。それで今週は静かにしていたのですが、じっとしているのに何故かどんどん疲れが溜まって来て、ますます体調不調です。暑くなって来たことも影響していそうですが、気を抜いたので溜まっていた疲れが表面化したのでしょう。

 夏本番になると時期遅れになってしまうので、何とか片付けてしまいたいと思っていました。時間さえあれば種蒔きや米作りに専念するつもりでしたが、軽トラが運転できないと仕事になりません。今焦るより、秋野菜や冬野菜に集中する方が良いようです。人参や法蓮草の収穫が2カ月ほど遠のいてしまいますが、その分秋野菜を沢山作ることにしましょう。今思えば、手のかからない南瓜をもう少し沢山作っておけば良かったのですが、後の祭りです。幸い豆類の種は芽を出してくれているので、それだけでもそれなりの収穫ができそうです。8月に入れば、白菜や人参の種蒔き、玉葱の苗作り、大根や野沢菜、法蓮草の種蒔きと、忙しくなって来ます。それまでは収穫した玉葱やニンニク、ラッキョウの整理、農機の修理などに専念することにします。

玉葱づくしでちょっと息をつく

 さすがに梅雨らしく、時々雨が降るようになった塩田平です。関東から友人が3日ほど農業の手伝いに来てくれました。おかげで気になっていた玉葱を収穫することができました。収穫が遅れているうちに雨が続き、雑草が勢いを取り戻して玉葱を覆いつつあったので、宝探しに近い収穫でした。収穫が終わった畑にトラクターをかけて雑草を鋤込んだのですが、探し損ないが多かったようで、そこら中から玉葱が出るわ出るわ。あわててコンテナを持って拾い集めたところ、コンテナ2箱位になりました。残念ながらロータリーの爪で傷ついているものが多く、すぐに食べてしまわなければなりません。さすがにコンテナ2個は食べられないので、近所の知人に食べてもらったり、立ち寄った人に持って帰ってもらいましたが、それでもしばらく料理は玉葱ばかりでした。

 小さくても傷物でも、有機で作っているので甘くておいしいタマネギです。いくら食べても飽きることも無く、楽しい玉葱づくしでした。キャベツもそろそろ大きくなり過ぎているし、収穫が遅れると保管が大変になるのでニンニクも収穫しなければ。そういえばそろそろジャガイモも掘り時かも。友人と遅れている種蒔きを優先して作業したので、玉葱以外の収穫は後回しになっています。そのかわり、玉葱跡と南瓜畑に肥料をやってトラクターをかけ、種蒔きが少し進みました。もう一息ですが、そろそろ1年で一番暑い時期。種蒔きも難しくなって来ます。そろそろ玉葱の苗床の準備や、田んぼの草取りも必要です。どちらを優先するか決めなければなりません。現状では、秋野菜までは種蒔きを諦めるべきなのでしょうが、悩ましいところです。農業はなかなか大変です。

 畑は友人とパートナーに任せ、先週金曜日も東京首相官邸前の抗議行動に参加して来ました。5人一緒だったので、車で行きました。ちょうど6時に着いたのですが、1週間前より沢山の人が集まっていて、列の後ろは既に六本木通りを通り越して伸びています。分岐して別の方にも伸びていて、列の最後がどこだか分かりません。一緒に行った中に初めて参加する人がいたので、あまり後ろの方では何をやっているのかわかりません。先週は列の反対側の歩道には自由に行けたので、そっちに行こうとして国会議事堂を一周したのですが、前回より非常に広い範囲で歩道が封鎖されていて近づけません。仕方が無いので地下鉄の地下通路伝いに比較的近くの出口から出て、官邸から道一本隔てたところに辿り着きました。はす向かいの抗議行動先頭のスピーチも良く聞こえ、周りに少しずつ人も増えて来て、それなりの抗議もできました。

 一対何人集まったのか。増えているのかに関心があるのですが、実は良くわかりません。主催者発表は15万人で、前回の15-18万人より少ない印象です。警察発表はこの3回で、1万1000人、1万7000人、2万1000人と増え続けています。数自体がどう考えても全然違うのですが、一説によると警察は開始時(6時)の参加人数を数えているそうです。仕事が終わってから参加するので6時に着いている人はごく一部。参加する人の列は延々と続いていました。主催者も、前回は予想以上で数えるのが難しかったけど、今回はスタッフの数もかなり多い印象だったので、正確に数えたということかも。開始して間もなく雨が降り始め、解散宣言が出た頃には本降りになっていたので、あるテレビ局は、雨でも再稼働しても前回と同じ15万人が集まったことに驚いたと報道していました。毎回初めての人が一緒なので、勝手に歩き回るわけにも行かず、自分の目での確認ができないのがちょっと残念です。

 僕個人も、これまで政治に関心を持たなかったことが、官僚や電力会社の暴走を招いてしまい、原発事故による大規模な汚染と人命を失うことになってしまったことに責任を感じています。だからこの全く新しい形の抗議に参加しています。毎週金曜日に行われている抗議行動は、デモでも集会でもなく、赤ちゃんから老人まで、本当に老若男女がまんべんなく集まっています。10万人以上の人が集まったにも関わらず、小競り合いすら無い。主催者が解散を宣言すると、粛々と帰って行く。こんな主義主張や男女や年齢も全く関係ない集まり、それも自然発生的な集まりは、日本の歴史で初めてのことだと思います。歴史が作られている。このまま人が増え続ければ、歴史の教科書に載ることになるでしょう。そういう現場に立ち会うことができる瞬間だと思います。日本には民主主義は育たなかった、というのがこれまでの僕の考えだったのですが、今民主主義が育ちつつあるのかもしれないと思っています。

 食べ物が無くては人は生きて行けないので、農業は重要です。民主主義、政治、官僚、原発がどうなるかにかかわらず、毎日の食べ物は必要だからです。と思いつつも、仕事や放射能対策も必要だし、原発に関することにも時間を割かざるを得ない毎日です。こうなってしまったのも、電力業界や政府だけでなく、自分にも責任の一端はありますので、仕方ありません。というわけで、出張が無く家にいる日は、朝5時前に起きて種蒔きをして、それから仕事や書き物といった日々です。今朝ももトラクターでもう一度草を抑えてから、莢隠元と枝豆を2列ずつ、モロッコ隠元を1列、白瓜も1列種蒔きをして来ました。まだ空いている畑が沢山あるので、もうしばらく早起きを続けたいと思います。

塩田平便り:大根が凍結した朝

 先週の塩田平は少し冷え込みました。雪が降ったり、天気予報で最低温度がマイナス3度を下回ったり。わずかに積もった程度でしたが、12月上旬に雪が降ることは珍しいので、この冬は寒さが厳しいのかもしれません。大根が凍ってしまいます。仕事が終わってから、慌てて残った大根のうち、大きいものだけ抜きました。既に畑の土は凍り付いています。夕方5時には真っ暗ですので、暗闇の中での作業です。1畝の取り残しから大きなものだけを集めたのですが、コンテナ5個が一杯になりました。幸い畑の横に1本だけ街灯があるのと、ほぼ満月で晴天でしたので、これらの明かりだけで何とか作業できました。

 この晴天がくせ者なのです。雲という断熱材が無いので、夜になるとどんどん気温が下がってしまうのです。収穫を終えて仕事をしていても、段々寒くなって来たので、一度火を落としたペチカに火を入れ直しました。翌朝も良く晴れていて、外気温はマイナス5度。さすがにペチカの力で室温は8度ほどありましたが、外の大根は葉っぱも根もカチコチに凍っていました。穫り残した大根のうち、どれ位が大丈夫か気になるところですが、そのまま出張です。マイナス10度以下になることもある塩田平ですので、マイナス5度位はなんてこと無いのですが、12月の初旬は珍しいことです。

 幸い水道は凍りませんでしたが、忙しくて凍結防止ヒーターも準備していないので、次の寒波が来る前に準備をしなければ。予報ではしばらくは寒くならないようですが、これ以上冷えるとキャベツも凍結してしまうので、そろそろ収穫しなければならないかもしれません。ペチカの薪の準備も追いついていないので、本格的に寒くなる前に頑張らねばなりません。薪と言えば、10日ほど前の村の忘年会でありがたい話がありました。その日は4つも飲み会が重なってしまい、30分ほどで早引けしたのですが、何とその間に、最近村に越して来て、薪ストーブを設置した若い人から、「薪をもらえるので一緒に取りに行きませんか」と話があったのです。

 川に自生してしまったニセアカシアを伐採したものが、川縁に積み上げてあり、持って来て良いそうです。乾燥させねばならないので、次の冬の薪になるわけです。ありがたいことに毎年こんな形で、誰かがただで薪をもらえる話を持って来てくれます。早速うちのトラックを出動させ、クレーンで吊り上げて運んで来ました。伐採した人がプロだったらしく、トラックの荷台の最大幅2メートルに揃えて切ってくれているので、積み込みやすくて助かりました。今年こそ冬場に時間を作り、早めに薪の準備を進めたいものです。とりあえずは今晩の薪を割らねばならないので、まずはこの状況を抜け出す方が先です。前途多難ですが、薪が準備できたので一安心です。

 先週末も忘年会続きでしたが、運んで来た薪を降ろしたり、野沢菜の収穫をして漬込んだりしました。毎日少しずつ野沢菜を収穫したり漬けて行っています。今日も先輩が手伝いに来てくれ、野沢菜をコンテナに3つ収穫してくれました。それでもまだ全体の半分も収穫出来ていませんし、漬けたのは2割位でしょうか。寒くなったので葉が枯れ始め、段々小さくなってきました。早めに漬込んでしまいたいものです。お米の方は、やっと全部の田んぼの脱穀が終わりました。1俵ほど米が増えただけで、何となく安心できる気がするのが不思議です。畑に残った野菜は、ボランティアの人たちが収穫に来てくれ、福島に送ってくれます。そろそろ田畑を片付けたり、来年の計画を立てたりしはじめなくては。

塩田平便り:大豆の脱穀と野菜の保存

 先週塩田平に初雪が降りました。幸い雪だったのは朝の少しの時間だけで、すぐにみぞれまじりの雨に変わり、積もることはありませんでした。ここのところ雨がちで、夜は寒いものの昼間は気温が上がることも多い日々です。秋に時間が無くて充分間引き出来なかったので、大きくなっていない大根も沢山あります。作物が育ち続けてくれることはありがたいことです。ただ、雨がちだと水分が下がらないので、最後に残った田んぼの脱穀が出来ず、困っています。その一方で、夜は段々寒くなって来ました。今畑に残っている野菜で、寒さに一番弱いのも大根です。いつ大根を収穫するか、毎年12月の悩みです。

 冬の寒さが厳しい塩田平では、冬の間収穫できる野菜はほとんどありません。越冬できるネギも、土が凍りついて抜けないので、食べることができません。白菜や大根、ネギなどの野菜は、冬の初めに収穫して保存し、冬の間はそれを食べていきます。保存が難しい野菜は野沢菜のように漬物にして保存します。野菜を収穫しても、暖かい日が続くと、野菜が痛んだり、漬物が醗酵し過ぎて保存性が下がったり、おいしくなくなってしまいます。だから寒くなって保存に適した気温になるまでは、野菜を畑に置いておきたいわけです。でも気温は少しずつ下がって行くわけではありません。時々1日だけ急に寒くなる日があったりします。そこで凍結すると、保存しても腐ってしまうのです。

 近所の家々で、野沢菜を収穫したり、漬けたりする光景が目立つようになりました。毎晩のように霜が降り、気温も下がって来たので、漬け時になったということでしょう。大根もほとんどの家で収穫が終わったようです。というわけで、わが家でも、大根と野沢菜の収穫を急がねばならないのですが、大きな問題があります。冬の間の野菜の貯蔵庫も兼ねているわが家の物置が、物で一杯なのです。震災/原発事故の混乱と、色々な物を備蓄した影響です。収穫しても、温度が下がり過ぎない屋内に入れておかないと、夜になれば凍ってしまいます。そう言えばジャガイモも屋外で保管したままでした。これも屋内に移さなければ、凍って腐ってしまいます。先日、ごく一部ですが、凍った大根が出ました。

 さすがに待った無しになって来たので、物置の大掃除を決行しました。米袋がネズミに襲撃されているのが発見されたりしましたが、とりあえず野菜が入る場所はできました。必要な野菜にアクセスできる状態に整理するには、もう何日かかかりそうですが、まずジャガイモを収容し、大根も段ボールにいくつか収穫することができました。畑にはまだ大量の大根と野沢菜が残っていますが、とりあえず一安心です。次に冷え込むまでに、出来るだけ収穫してしまいたいものです。大豆も先週末、関東の友達が手伝いに来てくれ、無事脱穀が完了しました。草だらけになってしまったので、収量は40キロ位でした。鶏の餌にするほどはありませんが、味噌を造るには十分な量です。

 薪割りは相変わらず泥縄ですが、それ以上に困った事態が起こりました。塩田平の近くで、薪から基準以上のセシウムが検出されたのです。安全が確認された薪以外は焚けなくなってしまいました。わが家の主暖房はペチカなので、大変困った事態です。とりあえずは、何かを作るのに使おうと思っていた廃材があるので、それを切って焚いてしまえば何とかなりますが、一冬では大量の薪を使います。薪はあちこちから集めるものなので、かなりの数を検査しなければなりません。県の説明では、東電に補償を聞けとのことですが、忙しい中困ったことです。群馬県の有機農家からも悲鳴が届きました。全量検査して安全が確認できたのに、注文が無くなってしまったそうです。サイトをご覧の上、出来ればお米を買ってあげて下さい。

群馬県浦部有機農園からの手紙
http://www3.ocn.ne.jp/~oriza/tayori/tayori51.html

浦部有機農園
http://www3.ocn.ne.jp/~oriza/

塩田平便り:冬に向けて最後の準備

 塩田平も段々寒くなって来ました。夜が冷え込んだ日は、朝起きると真っ白に霜が降りてきれいです。その霜も、陽が射し始めるとあっという間に消えてしまいます。ペチカを焚いておけば家の中は10度以下にはならないので寒くないのですが、相変わらず薪割りの時間が取れません。自分で焚くときは、四寸角の端材をそのまま焚いてしまえるのですが、パートナーは割った薪でないとうまく燃えないので、出張前に30分ほどかけて2日分位を割ってお茶を濁しています。先週末は村の団体の観光旅行だったので、農作業はお休みでした。普段出張が多いので、村の人と良く知り合う機会は貴重です。次の週末は村の忘年会です。

 天気の良い日の昼間は暖かく、田畑での作業の際、上着を着ていると汗ばんでしまうほどです。まだ芽が出るかもしれないので、父に週末に葉菜類の種を蒔いてもらいました。今のところ発芽していませんが、もう少し様子を見たいと思っています。水分が高かったお米はあいかわらず水分が高いままです。間もなく雨の予報なので、また水分が上がってしまいます。仕方ないので1枚の田は仕事の合間に、2日がかりで脱穀してしまいました。収量は米袋1袋だったので、玄米にして20キロあるかないかですが、貴重な追加の収穫でした。これで残った田は1枚だけです。天気との相談ですが、半日あれば脱穀してしまえる量なので、本格的に寒くなる前に片付けたいものです。

 大豆は先週末に高校の先輩が手伝いに来てくれ、パートナーと2人で全部刈り取ってくれました。残った大豆の半分位は、幸い雑草が少なく、比較的簡単に収穫できたとのこと。早速大豆の脱穀機を借りようとしたいのですが、別の地域で予約が入っていて、しばらく帰ってこないとのことでした。次の週末には借りることができますが、その前に雨の予報です。シートをかけてありますが、無事予約した日に脱穀できると良いのですが。米も大豆も11月中に脱穀を終えたかったのですが、残念ながら12月に入ることになってしまいました。

 野沢菜も、そろそろ漬けたいのですが、まだ最初のひと桶で足踏みです。最初の桶は幸い水が上がってくれたので、本当は押しを軽くしたいのですが、そこまで手が回りません。野沢菜は既に何度も強い霜に当たったので、漬けるのを急ぎたいところです。せっかく大きくなってくれているのですが、寒くなると枯れて行ってしまうのです。それなりに沢山作ったので、100キロ単位で野沢菜漬けが出来てしまう予定です。今週白菜や大根などを17箱被災地に送りました。冬になって野菜が少なくなったら、野沢菜漬けや沢庵を送りたいものです。野菜はあるのですが、漬ける時間があるかどうかが最大の問題です。

塩田平便り:思ったより大豆が収穫できそうです

 1週間ほど前に初霜が降りた塩田平ですが、その後強い霜も何度か降りました。日によっては夜は氷点下まで下がり、氷が張っています。秋が暖かかったので、例年より良く育っている野沢菜も、何度か霜に当たったので、そろそろ漬け時かもしれません。先週とりあえずひと桶だけ漬けましたが、水の上がりが今一つで、呼び水を差して様子を見ているところです。先週始めた薪割りで、しばらく保つと思ったのですが、ペチカを焚く時間が長く、追加の薪割りが必要になりました。今週も、薪の山を整理して、そのままストーブに入れられる大きさのものを家に運びました。割った方が良く燃えますが、このままでも焚けるので当分薪の心配をせずにすみそうです。

 先週と今週の2度、脱穀しないまま田んぼに残った稲の水分を計ったのですが、残念ながら雨で水分が上がってしまい、脱穀はできませんでした。それならと、大豆の収穫を始めることにしました。大豆も乾燥しないと莢から豆が取れないのですが、お米に比べればはるかに量が少ないので、若干水分が多くても日に干したりするのも簡単です。山の畑に作った大豆は、すっかり鹿に食べられてしまいましたが、家の近くで作った大豆は大丈夫でした。ただ、秋に入って除草の余裕が無く、かなり草に覆われてしまったので、収量は期待出来ないと思っていました。何しろ、横の道を通る時に横目でちらっと見る以上の余裕が無く、畑に入るのも2カ月ぶりと言う困った状態だったのです。

 畑の1/3ほどは、最後にもう一度除草したのでそこだけは少し収穫できるかと期待していました。畑に行ってみると、嬉しいことに、残りの部分もそれなりに実を付けてくれていました。もちろん大した収量ではないでしょうが、味噌を造る位は出来そうです。収穫と言っても、雑草の方がはるかに多いので、刈払機で雑草ごと刈り倒します。刈り倒した雑草をかき分けて大豆を探し出して集めるという、かなり面倒な作業です。労働力はあまり無いのですが、わが家総出で、知人にも手伝ってもらったりして、2日がかりでやっと半分刈り終わりました。段々草の方が増えて行くので、なかなかはかどりません。農協に大豆の脱穀機を借りる予約をしていたのですが、延期しなければなりません。

 冬野菜は順調に育っているようですが、講演などあって忙しく、あまり状況が把握出来ていません。また毎年のことですが、断熱が甘い部分を工事しようと断熱材を買ってあるのですが、工事する間もなく冬になってしまい、凍えているうちに春になってしまう、ということを繰り返しています。特に自分の部屋の床だけが断熱されていない上に家全体の空気の通りから外れていて、あまりペチカの熱が回って来ません。ストーブが無くてもやって行けないことはない程度なのですが、今年こそ断熱材を入れてしまいたいところです。手作りは手間暇かかりますが、大きな目標でもあるので、今年は何とか少しでも進めたいと思っています。

塩田平便り:大失敗の連続の中、玉葱を植え終わる

 塩田平も少しずつ寒くなって、そろそ冬が近づいています。例年なら10月からペチカに火を入れ始めるのですが、ペチカの煙突掃除や薪の準備が後回しになっていました。仕事もそれ以外も、畑も、ここのところ目が回るほど忙しかったのです。予定を入れ過ぎてスケジュールの調整に失敗し、村の自治会の旅行に行き損なってしまい、皆さんに迷惑をかけてしまいました。新しい予定を入れようとして、「あれ、こんな時間取れたっけ」と思った時に確認するべきでした。大失敗です。電子カレンダーでは無意識のうちに予定が消えてしまう危険があることを忘れていました。楽しみにしていた旅行に行き損なってしまい、大変残念でした。

 10月下旬暖かかったので、冬支度は手つかずでした。11月になって寒くなり始めても、ペチカを掃除する時間がありません。10月末から植え始めた玉葱の苗を、寒くなる前に植え終わらないと、来年収穫できないからです。老人達はそれぞれ自分の部屋にガスストーブがあるので、とりあえずそれを使ってもらっていました。玉葱はいろんな方に助けてもらい、旅行に行けず時間が取れたこともあって、先週末で何とか植え終わりました。針のような細い苗も植えたので、全部で1万本弱植えたことになります。早速冬支度に取りかかりたいところですが、稲刈も1割ほど残ったままになっています。まずは稲刈からというわけで、早速様子を見に行って、呆然としました。

 1カ月前まで山の田で首を垂れていた稲穂が全く見当たりません。稲の茎葉は残っているのですが穂がありません。田の隣の畑に植えてあった大豆にいたっては、茎ごと地上から全て無くなっています。全部鹿に食べられてしまったようです。この週末二度目の大ショックです。電柵を張っておいたので機械の様子を見に行くと、電柵は動いています。お隣の田んぼの収穫が終わり、お隣の電柵が撤去されてしまったので、そこから入ってしまったようです。時期的に、山に食べるものが少なくなって来たことも影響しているのでしょう。もっと早く刈り取るべきだったようです。先週末2度目の大失敗でした。

 稲刈の必要がなくなったので、週末に薪割りとペチカの掃除をする時間が出来ました。3年ぶりのペチカの掃除です。前回掃除した時に、それほど煤が溜まっていなかったので、何年かに1度やれば良いだろうと思っていました。煙突の煙の流れを調節するダンパーがうまく動かなくなっていましたので、そこだけ掃除すれば良いと思って、掃除口を開けてみて驚きました。中に煤が一杯です。ペチカは煙突より大きいとは言え、取った煤がゴミ袋に一杯になりました。ダンパーに詰まった煤には掃除口から手が届かず、完全に動くようにはなりませんでした。薪と一緒に燃して、煤を取り除くクリーナーを注文して、様子を見ているところです。

 薪の材料は山のように積み上がっているのですが、1年以上雨ざらしで、乾燥しているか怪しい状態です。幸い製材所で出た建築端材をもらってあります。乾燥材で1年以上放置してあるので、乾燥しています。2メートル近く積み上げてある山によじ上り、焚きやすい大きさのものを探し出し、ペチカの焚き口に入らない大きなものは斧で割りました。秋の夕日はつるべ落としで、薪が用意できたのはコンテナに5箱でした。5箱では今週中に燃してしまうでしょうから、今後の分も早く準備しなければ。針葉樹なので簡単に割れますし、薪割りをしたのは15分ほどですが、久々の薪割りで普段使わない筋肉を使ったらしく、肩の周りが痛みます。日々薪割りに励めば、慣れて痛むこともないということでしょう。

 早速ペチカにこの冬初めて火を入れてみましたが、煙突の通りは上々のようです。そうそう初めてと言えば、先週初めて新米を精米しました。早速いただきましたが、新米はこれまで食べていた古いお米と比べると、驚くほどおいしく、自分でも吃驚しました。もっとも、これまで食べていたのは2年前に穫った古米で、しかも原発騒動で春先に大量に精米してしまい、酸化も進んでいた米ですから、夏以降は自分でもあまりおいしくないと感じていたものでした。農家にとっては米は生命線ですので、古い米も含めて食用も籾用も備蓄し、常に1年分程度の余裕を持ちたいと思っています。そうすると、常に1年以上前の米を食べることになるわけですが、1年以上の備蓄が出きることの方がありがたいことだと思っています。

塩田平便り:引き続き玉葱一色の日々

 塩田平の周りの山々も、すっかり紅葉しました。残念ながら先週も出張や行事が多く、たまに塩田平に居ても曇りや雨が降ったりで、紅葉も今ひとつくすんでしまっていました。でも昨日今日は日も射し、作業の合間に紅葉を楽しむことができました。段々気温も下がって来ますが、冬支度はこれからです。ストーブの用意やペチカの掃除をしなければなりません。早くやった方よいと思い続けながら、まだいいか、と手つかずです。寒くなって慌ててやるのが、毎年のことなのです。薪割りや薪の整理もこれからで、先が思いやられます。

 幸い薪自体は、いろんな方からいただいて山のように積み上がっています。切ったり割ったり乾かしたりが必要ですが、1年以上積んだままの製材端材の山があるので、当面寒い思いをする心配はありません。近くの畑に片隅においてあるので、ちょっと片付けて、家の方に運んでくるだけです。だからいつでも出来ると思っていると、だんだん寒くなって来ました。玉葱もまだ植え終わっていないし、どっちからやろうか、というところです。玉葱は、高校の先輩も手伝いに来てくれ、半分強植え終わった感じです。今の感じでは、準備した畑がやや不足する気もしますが、玉葱の苗は掘り取って植えてみるまで何本あるか分かりません。植え終わってみれば足りているかもしれません。

 とにかくせっせと玉葱を植えることです。明日も手伝ってくれる人が来てくれるので、少し進みそうです。畑の他の作物も順調に育ってくれています。小カブの間引き収穫が始まり、法蓮草も大分大きくなりました。キャベツは大きくなり過ぎるほどです。大根も普通の大きさに近づいて来ました。大根や白菜は保存して冬中いただきますので、あまり早く大きくなってもらっても困ります。気温が下がるまでは保存できないし、畑に置いておくと、大きくなり過ぎてスが入ってしまうからです。それに、大根は大き過ぎると保存性も下がってしまいます。秋の気温が高めなので、大きくなり過ぎる方が心配になって来ました。

 11月に入ってもそれほど気温が下がらず、本格的な霜もまだです。それでも夜の気温が下がって来たので、寒さに弱い南瓜や薩摩藷を屋内の比較的暖かいところに整理しました。全部で300キロほどあります。もちろんわが家だけでは食べきれません。原発被災地への支援物資として、定期的に送る予定です。もう少し余裕があれば、夏野菜を片付けて、佃煮にしたりしたいのですが、当面スケジュールがびっしりです。もう何日か霜が降りなければ何とかなりそうですが、こればかりはお天気任せです。暖か過ぎても冬野菜が育ち過ぎてしまうので、天に任せて文句を言わないのが一番のようです。

塩田平便り:玉葱を植え始めました

 秋が深まっているにしては、何となく暖かい塩田平です。11月に入ったのに、まだ初霜が降りません。高いところにある畑に残してあった薩摩藷の葉が少し枯れてしまったところを見ると、場所によっては弱い霜が降りたのかもしれません。好天のおかげで、10月中旬までは生育が今ひとつかな、と思っていた玉葱の苗も立派な大きさに育ちました。ネギやニンニクなど、葉が細い野菜は雑草に弱いのですが、今年は家の近くに苗床を用意できたおかげで父が除草してくれたことも、良い苗に育ってくれた理由でしょう。稲刈も少し残っていますが、先週から玉葱を植え始めました。

 何人かお手伝いして下さる人がいて、用意した畑の1/4位植え終わりました。苗は1/6ぐらいしか掘り取っていません。このままだと畑が足りなくなるので、もう少し用意しなければならないかもしれません。今年は減反田があるので畑にはずいぶん余裕がありますので、時間さえあれば用意するのは簡単です。ただ、苗も場所によってずいぶんまばらにしか生えていないところもあります。実際に苗を掘り取って植えてみないと、どれ位畑が必要か分からないところがあります。普通は畑を決め、苗を多めに作り、成長の悪いものを捨ててしまうのですが、針のように小さな苗でも、つい植えてしまいます。

 父にも手伝ってもらって玉葱を植えている時に、幼稚園のバスが到着しました。園児達が薩摩藷を掘りに来て大騒ぎです。

薩摩藷を掘る子供達

 お手伝いしている幼稚園に、毎年薩摩藷を掘りに来てもらっているのです。今年の薩摩藷は大きくなったので、子供達も満足したことでしょう。後で子供のお母さんから「早速蒸かしていただきましたが、家のおじいちゃんが作っている薩摩藷よりおいしかった」と嬉しい言葉をいただきました。来週焼芋大会をするそうです。残った薩摩藷を掘り取ってしまい、玉葱を植えることになるかもしれません。まずは用意した畑にせっせと玉葱を植えて、どれ位苗が残るか確認するところからです。

 大豆も雑草に埋もれていますが、稲刈と玉葱が優先なので運が良ければ収穫できるかといったところです。夏野菜も霜が降りる前に収穫できれば無駄になりません。色々な方に助けてもらい、比較的順調なような気がしていましたが、やはり追いついていないようです。でも嬉しいことに、キャベツや大根、白菜、野沢菜と言った秋野菜の生育は順調です。ニンニクも父が植えてくれていますが、豌豆や空豆など、他の冬越しの野菜の種蒔きまでは手が回っていません。次の週末も農業に専念したいところですが、結婚式で出かけてしまいます。来週以降もしばらく霜が降りないよう祈っているところです。