桜が満開らしいが

久しぶりに塩田平に落ち着いています。出張もありますが、春の農作業もありますし、亡くなった義父の行事もあり、あまり塩田平を離れられません。週末は土日とも力仕事でした。先週植えてしまうつもりだったジャガイモですが、半分ぐらいの種芋を並べたところで時間切れになってしまいました。直射日光を当て過ぎると種芋が死んでしまうので、とりあえず機械で畝間に溝を掘り、その土を軽く種芋にかけたままになっていました。まずは残りを植えてしまわねば、と種芋を並べてみたら、種芋が足りません。去年借りて米を作り、今年初めての減反で、正確な広さが分かっていなかったのです。

 

先週種芋を買いに行った時に、種苗店に男爵の種芋しか売っていませんでした。有機農業では農薬を使いません。万一病気が出た場合、単一品種だと全滅してしまうことがあります。それを避けるために、複数の品種を播くようにしています。できれば別の品種も探したい、という気持ちもあり、少なめに求めました。さらに畑の半分を試験的に、新しい密植の植え方で植付けたので、例年以上に種芋が必要になりました。結局種芋が5キロぐらい足りなかったので、いくつかの店を回ったのですが、全部売り切れです。翌朝大きな種苗店に電話してみたところ「男爵なら少し残っている」とのことでした。

 

最悪の場合は男爵にするか、と思いながら、遠くの大きなホームセンターに行ってみました。待つこと5分ほどで開店したので、すぐに店員さんに「ジャガイモの種芋はありますか」と聞いたところ。「もうこれだけです。しかも箱売りのしか残っていません」。見ると毎年作っているアンデスレッドの10キロの箱が1つだけ残っています。何という幸運でしょう。必要なのは5キロなのですが、誤差の範囲です。すぐに帰って種芋1つの重さを計ると90グラムです。1番小さい50グラムの種芋で5キロ必要だったので、そのまま植えればちょうどいい数になります。本当は3つに割っても大丈夫なのですが、畑が一杯なので、そのまま植えました。

 

ちょっと余り気味でしたが、最後は詰めて植え、ちょうど畑全体に植付けることができました。肥料をやって畝立てし終わったのはもう暗くなる頃。畝立ては独自の方法で機械を使うのですが、土を掘って不安定になる機械を腕力で押さえながらの作業なので、神経を使う上に体力も使います。最初の計画では1日で植えてしまおうと思っていたのですが、あちこち種芋を探し回ったこともあって、結局丸3日かかってしまいました。実はこの後畝にマルチをかけねばならないのですが、それは少し後でも大丈夫です。

 

翌日曜日は村の共有林の手入れでした。急傾斜の山の中で下草を払い、雑木を切り倒します。手入れの後はビールが振舞われました。村の人たちとビールを飲みながら「今日辺りが桜が満開で名所は花見客で一杯」という話を聞きました。震災と原発事故で忙しく、農業に割く時間もほとんど取れていません。残念ながらとても花見どころではありません。その上、3月の睡眠時間が短か過ぎた反動か、肉体労働が続いたからか、最近は睡眠時間が通常以上に長くなりがちで、いろんなことがなかなか進みません。その反面、疲れがちなせいかお酒の量は増え気味です。体を使うとどうしても増えてしまいます。

 

体重も過去最高に迫っています。元々不健康な生活を送っていたような気もしますが、最近ますます不健康かも、と思っていたのですが、肉体労働をすれば眠ってしまうわけで、健康の素は肉体労働のようです。暇があれば、切り倒した木を薪に使うために取りに行きたいところです。1缶飲んだだけですが、2日連続の力仕事だったからか、家に帰ったらそのまま寝てしまいました。

 

震災被災地域では、農業の復興にも時間がかかるでしょうから、日本全体としてみると農作物が不足することになります。その一部でも埋め合わせるために、自分も農業に力を入れなければと思うのですが、なかなかその時間が取れません。今年は手抜きで沢山穫れるものを中心に、と思っている今日この頃ですが、良く考えてみると、農業を始めた頃と同じ考えです。昔から手抜きだったということのようです。それはともかく、自分や周りの人たちのためにも、食料生産は重要です。とりあえずジャガイモだけは植えましたし、父も種蒔きをしてくれています。次は米作りに力を入れることにしましょう。

春の農作業で大わらわ

大分暖かくなって来ましたね。相変わらず流浪の民で、先週も東京、大阪、神戸、九州と移動し、塩田平には半分もいられません。それでも父が人参や野菜の種を蒔いてくれました。またレタスやキャベツの苗も買って来て、植えてもらいました。残念ながら肥料設計がうまく出来ないようなので、様子を見ながら追肥して行くつもりです。田んぼの準備もしなければならない時期ですが、とても追いついていません。まずはジャガイモを植えなくてはと、種芋を買いに行って驚きました。売り切れでほとんど売っていません。

 

良く考えてみればもう4月も中旬です。ジャガイモの植付けは、塩田平ではできれば3月中にやってしまいたいもの。そろそろ種芋が無くなってしまっても文句は言えません。小さな種芋ならそのまま植えれば良いのですが、残っていたのは男爵の特大の種芋だけ。切って植えねばならないので、それぞれの種芋を包丁で6つに切り分けましたが、それだけで3時間ぐらいかかってしまいました。忙しくして準備が後回しになると、ますます時間がかかります。でも男爵を中心にしたいと思っていたし、大きな種芋の方が大きな芋になるので、まあ良しとしましょう。

 

大阪も神戸も九州も、桜が盛りでした。一部は葉が出始めています。残念ながら大阪は雨でしたが、九州で内輪でお花見をしました。照明の自粛で暗い中でのお花見でしたが、桜がきれいな良いお花見でした。季節季節の行事は大事にしたいと思っているので、震災や原発事故があっても、こうした行事や日常の作業を続けて行きたいと思います。そろそろ米作りの準備に入りたいのですが、原発事故の影響でなかなか手が回らないというのが正直なところです。でもあと一息という感じになって来たので何とかなるでしょう。日本の食料生産が減少しないよう、少しでも協力したいと思っています。

 

塩田平と九州はだいたい落ち着いたので、東京に戻った子供達の事故対策をすれば、当面の原発事故対策はお終いです。25年前のチェルノブイリ事故の時に色々考えましたし、塩田平に定住した時も、日本でも原発事故が起こる可能性を考えて、それなりの準備や対策をしました。電力の契約を15アンペアにして、薪を使い、出来るだけ原発の電気に依存しない生活を目指したつもりでした。それから15年。非常時に放射性降下物から畑を守るためのシートも、放射線測定器も、引っ越しのついでにどこかに行ってしまったままで見つかりません。人間は忘れてしまうもののようです。

 

塩田平も福島から300キロ弱なので、放射能雲が流れてこないとは限りません。実際近隣で線量が上がっている地域もあります。あわててシートを買って来て、一部だけですが畑を覆いました。先週大風が吹き荒れ、シートはみんな飛んで行ってしまいました。翌日雨が降りました。シートは、主に雨とともに落ちてくる放射性物質を防ぐためのものだったわけですが、これでは何ともなりません。しかしまあ、いずれにしろいつまでもどうなるか分からない事故の収束を待ち続けるわけにはいかないのです。放射能も困りますが食料生産の落ち込みも困ります。どうせそろそろ作付けを始めねばなりません。放射能がどうなるかは、運を天に任せることになりそうです。

村の共同作業をしながら考えたこと

あっという間にもう4月です。塩田平も春らしいよい天気で、ペチカも朝晩だけ焚けば良いようになりました。東北で被災している人や、原発の事故対策をしている人がたくさんいることが信じられない気もしますが、塩田平でもいくつか入手が難しいものがあり、災害が現在進行形のということを感じます。震災から1カ月近く経ったわけですが、被害の大きさや、予断を許さない原発の状態を考えると、この状態が数ヶ月続くのでしょう。念のため東京から避難させていた子供たちも、仕事や学校が始まりました。幸い原発も小康状態が続いているようなので、東京に戻りました。

先週はなかなか忙しく、九州、大阪、神戸、名古屋、長野、東京と移動しました。長野は駅や電車内の照明がかなり消えています。関西はエレベーターやエスカレーターも普通に動いていて、名古屋から西は目立った節電は少ないように感じました。塩田平でも、村の麻雀大会や花見は中止になりました。九州でも、お花見の名所に特別な照明をせずに、暗い中で携帯の明かりで花見をしていたそうです。九州では桜がかなり咲き始め、そろそろお花見が始まっているのです。毛布や電池などは、被災地への供給を優先しているとのことで、九州でも入手困難です。災害に日本中で協力したいものです。

原発事故も長期化の様相が強くなって来ました。水や食物の汚染は今後も続くでしょう。しかも、いつ事態が悪化しないとも限りません。そんなことに個人個人が対策を考えなければならない社会は明らかに間違っていますが、目の前の危険は避けるしかありません。仕方ないのでポケット線量計や浄水器などを手配しました。大変な散財です。しかしこうした状況を作ってしまったことには、社会の全ての人に責任があるわけです。こうした状況を作った政治家や、電力会社を特に批判することも無かったわけですから。状況を改善し、より良い社会にするためには、一人一人が反省して協力するしかありません。

週末は塩田平で、水路と道路の整備の共同作業がありました。田舎なので、それ以外にも細々とした仕事がたくさんあります。面倒と思うこともありますが、もし災害が起こっても、こうした普段からのつながりが役に立つのでしょう。力仕事が多い道普請の担当になってしまい、溝を掘ったり砂利を運んだりでかなり疲れました。同じ日に、村の共有林の見回りにも行きました。道などなく、急な沢を上ったりします。元々運動不足のところに、最近忙しすぎてほとんど寝ていません。そこに重労働です。道普請だけですっかり疲れていたので、山の見回りは結構堪えました。でも山の中を歩くのは気持ちがよく、4月中に共同で下草刈りをすることになりました。

水路の整備の時期ということは、畑や田んぼの準備が本格化する時期になったということです。田の準備を進めねばなりませんが、震災と原発事故で全く手つかずです。先週「汚染水の海への放出を行わざるを得ない危険性があります」と書いたのですが、残念ながらその通りになってしまいました。父は早く種蒔きを進めたいようですが、それどころではありません。対策や個人的な対応もまとめたいのですが、目の前の状況に対応するだけで精一杯で、とても農業どころではありません。しかしその一方で、社会の活力と安定を維持して行くためには、水路の掃除のような、日常性を続けて行くことが、一番重要です。

花見など行事の中止が多いようです。もちろん、行事を自粛して、その代わりみんなで被災地に手伝いに行く、というならその方が良いでしょう。しかし、やりたくてもできない被災地は別として、ただ「自粛」だけすることにはあまり意味が無いように思います。それだけ経済がシュリンクし、社会活動、経済活動が低下して、元気がなくなってしまうだけです。復興や対策は長期的に続きます。通常通り出来ることは出来るだけ通常通りに行い、それに加えて被災地の役に立つこともお手伝いするしかありません。やはり農業にも前向きに取り組まねばと、思いを新たにしました。