減反の確認と草刈り、東北の様子

 甲信越も梅雨明け宣言が出ました。最近の塩田平では、なぜか梅雨明けまでは全然降らなかった雨が多くなります。先週から眩暈が出るようになったので、大事をとって車の運転を控えているため、農作業が進みません。眩暈は、完全には止まっていませんが、程度と回数は減ってきました。一番困ったのは、体調も今ひとつだし暑いので、農作業も自粛して家で休んでいても、どんどん疲れてくることです。これまで溜まったら疲れが出てきているらしく、休めば休むほど疲れるという不思議な状態です。元々かなりハードスケジュールのところに、官邸まで何度も行ったり、有機農業の講習を手伝ったりと、無理したのがいけなかったのでしょう。数日大人しくしていたら少し楽になったので、週末は除草に精を出しました。

 週末が明けた月曜日は、村の減反の確認作業でした。役所の担当者が減反の届け出と実際が一致するかを確認するのですが、その補助をして、案内や確認のお手伝いをします。好天で雨よりは良かったのですが、炎天下で圃場を走り回り、減反田の状況確認と書類回収をお手伝いする作業で、予想以上に消耗してしまいました。終了後会費制のご苦労さん会があり、暑い中走り回った反動で飲み過ぎてしまいました。もっとも、他のメンバーは意気軒高で、日頃の鍛錬が足りないことを痛感しました。そう言えば、先週後半は古くからの友人が亡くなり、東北に行ってきました。その疲れも少しはあったかもしれません。そういうわけで、ここしばらくは農業はお休みです。丁度暑い時期なので、無理をしないようにしたいと思います。

 葬式のためにスケジュールをキャンセルしたので、官邸前原発再稼働反対行動に参加することもできたのですが、震災被災地に足を運ぶ機会は少ないので、福島市と宮城の海岸線まで足を延ばし、現状を見てきました。福島市は、新幹線の中で測っても塩田平の倍以上、つまり通常の4倍以上の空間線量があります。市内にはもっと高いところがあります。外部被曝だけで年間1mSvを越えてしまう線量です。それでもホールボディーカウンターで測った内部被曝は低いとのこと。内部被曝の主原因は食べ物です。福島市で、安全な食品が手に入るのか、自分の目で確認したかったのです。あまり時間がなかったので、駅ビル地下のスーパーを覗いてみました。やや高級指向の店かもしれませんが、傾向はわかりました。

 魚類は北海道から鹿児島まで、日本中のものがありました。近海のものはほとんどなく、「三陸北沖」と表示されたものが目立った程度でした。野菜類は東北一円および北関東のものが中心でした。海産物は引き続き高線量のものが出ていますが、野菜は測定結果が低くなってきているので、消費者が受け入れているのか、流通や費用の問題で近県にならざるをえないのか知りたいところです。ミネラルウォーターや保存食品は、関西や海外のもの中心でした。宮城県の津波被害は、仙台から電車でいける、松島の先まで行ってきました。松島の先は、まだ鉄道が復旧しておらず、連絡バスで野蒜駅まで行って見てきました。途中の線路や川は、電信柱や木が倒れたまま。野蒜駅構内も架線鉄柱も倒れたままです。

 駅前のコンビニも中はグシャグシャのままでした。松島湾内は岬や島に守られたのか、大きな被害は感じられませんでしたが、野蒜駅から海岸までの住宅街だったと思われる一帯は、ほぼ真っ平らになっていました。隣りが、津波被害が大きかった石巻です。石巻も4月に訪問しましたが、地上の瓦礫はほぼ片付いていましたが、基礎などはそのまま残っていました。野蒜は範囲が狭いからか、基礎も含め、かなり撤去が進んでいました。中学校は鉄筋なので校舎は残っていましたが、2階まで水が来たようで、窓などは破れたままでした。周囲の復旧も進んでおらず、再開の予定はないようでした。海岸部は、被害の片付けだけでなく、インフラも含め、今後の再建方針が立たないことも復興の妨げになっているようです。

 目の前の復興、放射の汚染対策から、食料の安全をどう確保して行くのか。原発再稼働で良いのか、将来どういうエネルギーを使って行くのか。震災/原発事故によって突きつけられたのは難しい問題ばかりです。でも突然発生したわけではなく、ずっと存在していた問題が浮かび上がって来て、目に見えるようになったに過ぎません。子供達にどういう社会、どういう国、どういう世界を残すことになるのか。これからの僕たちの選択にかかっているわけです。これまでもそれは同じだったのですが、そこに大きなリスクが隠されていることに気付いていませんでした。今やリスクは現実になり、東北の多くの地域の復興もこれからです。自分にできることを、一つずつ片付けて行くしかありません。

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